子どもの問題
一人で悩まず、親も自分の気持ちを整理する場所と時間が必要です。
不登校は子どものメンタルヘルス不調
不登校の基本的考え方(私論)
不登校は一時減少傾向でしたが,この数年(2018年現在),再び増加の傾向を示しています。その要因については様々な考察がありますが,子ども目線からの不登校の理由は,「朝起きられない」とか「疲れる」といった体調面に関すること,「授業がよくわからない」「よい成績が取れない」「テストを受けたくない」といった学業面での理由が多いようです(日本財団,2018年調査)。
上記の調査からは,そもそも学校の居心地が悪い,といった理由もあり,総じて,学校にけるストレスが子供たちの体調をむしばんでいるようにも受け取れます。
言い方を変えると,子どもは決して怠けているわけではありません。いつでもがんばろうとし、またがんばってきており,がんばりすぎた結果多くのストレスを抱え、心身に不調を抱えることが行動上の問題である「不登校」として現れているのであって、その本質は「うつ」や「バーンアウト(燃え尽き)」「適応障害」などの精神疾患と同じといってもいいでしょう。
多くの不登校の子どもは、生真面目であるが故の「葛藤」を抱えてしまい、それを一人で抱え込んでしまって、複雑な感情に押しつぶされてしまっているのかもしれません。
大人の「うつ」には啓発が進み、「うつの人にがんばれと言ってはいけない」という基本的なかかわり方はかなり浸透してきていますが、子どもの場合は「うつ」の症状がわかりにくく、また、大人の方も想定していないため、よかれと思うかかわりが問題を深めてしまっていることもあります。
また、基本的に「学校」という環境は教育の流れ作業であるので、「休むことができない」(休むと勉強が遅れて取り戻すのが大変)という縛りに拘束されてしまうので、「うつ」を心理的負担なくゆっくり直す、という基本的な治療が難しいという事情があります。
大人のように、「休職・休業」というシステムがあって、治療が進んでいざ復帰という段に「復職支援プログラム」があるように、子どもにも「再登校支援プログラム」があれば、というのはいつも思うことですが、たいてい不登校の対応は「急げ急げ」で学校も親も、とにかく登校させる、ということに固執しがちです。
これは実際、昔の不登校への対応が、「見守って心の成長を待つ」というスタイルだったときに、いっこうに成果が上がらないことへのアンチテーゼとして「積極的に登校刺激を与える」方向へ流れが変わって来たことによります。
そうした流れの中で、効果的な不登校対策が行われている現状もありますが、その「積極的な登校刺激」が一人歩きしてしまっているようにも思えます。
登校刺激の与え方とは
登校刺激は与え方を適切に行わなければ、むしろ「不登校刺激」となってしまって状況を悪化させる要因にも成り得る可能性もあります。
効果的な不登校対策とは時間的金銭的なコストがかかるものであって、やみくもに登校刺激を与えればいいというものでもありません。
不登校は早朝は概して調子が悪いですが、午後からは元気になり、夜には「明日は学校へ行く」というように一日での気持ちの変動が激しく、午後以降の様子から、「怠け」と判断されることも多いです。
不登校をメンタルヘルスの問題ととらえるなら,まずは健康を回復することが肝要ですので,安心して休める環境の整備は重要といえます。
ただ、もともとは上記のような「燃えつき」だったりあるいは何らかの「環境的要因」によって始まったとしても、それがある程度回復したなら,再登校のプロセスを徐々に進めていくことになります。
ところが,不登校は休んでいるうちに,学校のストレスによる体調不良が,個人の「性格的要因」や「家族要因」に徐々にすりかわったり、本来の問題から離れて「怠け」心が優勢になったりすることもあります。
一般に「疾病利得(二次利得)」と呼ばれるものですが,これは決して子供だけでなく,大人にも普通に見られるものです。
ただ,大人は生活上の問題などでそうも言っていられない状況が多いのですが、子供はそれが赦される環境であることが多いので、再登校までの期間が長期化するようになります。
子どもの場合、「行きたいけど行けない」場合は、この二次利得に負けていることが多く、体長は回復し,一見登校への動機づけは強いようですが、この二次利得への対処も重要になります。
ところが、本人の内面では、その「不都合な真実」を隠そうとする心理的機制が働くので、本人ですらそれに気づいていないことがあり、かかわりが難しいといえるでしょう。
そして、長い目で二次利得を克服しつつ、登校への動機づけを行い、そして、具体的な登校支援のプロセスに入りますが、そこでは、「登校刺激」が必要になります。
この情報化時代において,子どもも自らの脳で,学校へ行く意味を考え続けています。その意味が見つかれば,自ら学校へ行く意欲もわいてくるでしょう。
親や学校の立場からはなかなか納得できるものではないと思われますが,学校という価値観を親や学校が再考して,子どもが納得がいく学校の意味を創出することが,今後の不登校対策において必要になってくると考えます。
こうしたことを勘案しつつ行う「登校刺激」にこそ意味があるといえるでしょう。