こんにちは。
広島心理教育研究所代表,臨床心理士・公認心理師の小村緩岳です。
期待が大きいほど,期待通りに行かなかったときのがっかり感は大きいものになります。日常的にもよく経験することですよね。
かといってあまり期待を持たないで生活するのも寂しいものです。
未来には「良い」期待をもっていたいですし。
また,がっかりしたくないからそもそも何も期待しない,むしろ,「悪い」期待をして生活することが習慣になっている方もおられます。
これには異論・反論もいろいろあるでしょうけど,私的には,それもまた「よし」と考えています。
そうすることで,心の状態が一定に「ニュートラル」に保たれるのなら,それはそれで心の平穏になるでしょう。
人が持つつらさは,気分・感情が「揺れ動く」ことにあります。
それらはかなりの部分が『相対的』な感じ方になるので,今感じている感情の前後との差が大きく影響するのですね。
「期待」はよしにつけ悪しきにつけ気持ちを高揚させる働きがあるので,期待通りにいかかったときの「落差(ギャップ)」の分だけ,がっかり感が大きくなり,それがネガティブな思考につながってしまうことも多いのですね。
なので,穏やかに生活するには気持ちの「揺れ動き」を少なくすることが大切で,そのためには,過度な「期待」を持たない,という方略も「あり」でしょう。
ただ,実際のところ,「先のことは誰にもわからない」ので,あえて「悪い期待」をして,過度な不安を抱え込む必要もないかなとも思います。
「よいことが起こるかもしれないし悪いことが起こるかもしれない。その確率は五分五分だから,今考えても仕方がないね。」というくらいでいいのでしょう。
よく「期待しないで待ってるよ。」というセリフを耳にしますが,この場合,たいていは「期待している」ものだから,結果が悪いとがっかりしますよね。
むしろ「半分だけ期待してるよ」というように,「うまくいくという期待」,「ダメだったという現実」,その両方を自分や他者に対して宣言しておくことで,どちらの結果になっても「しょせん,五分五分だし」とバランスよく受け入れられ,その結果,落胆の度合いも小さくなれそうです。
そう考えておくと,未来に対しての明るい展望がだめだった時の落胆の幅も小さくなりますので,かえって「明るい展望を持つこと」が怖くなくなります。
将来の「落胆」が怖くて「自己破滅的予測」をしてしまっているということは,翻って考えると,それだけ「過度な期待」を寄せている,ということです。
それに気づけると,安心して,「明るい未来」を思い描くことができます。
そんな「未来の描き方」,を少しでもお伝えできたらと思う今日この頃です。
今日もお読みいただきありがとうございました。
「自分も人も大切に」