「マインドフルネス」にも動と静がある
こんにちは。マインドフルカウンセラーの小村です。
さて,マインドフルネスを始めよう,というとき,まずは何から始めたらいいのでしょうか。
こちらの記事(マインドフルネスは「お手軽に」)でも書きましたが,日常生活の様々な動作,所作に対して「注意」を向けることでも十分マインドフルネスな態度の涵養になります。
マインドフルネスは「今の瞬間瞬間に注意を集中する」という,人の意識(認知)における態度,もしくはマインドセットであり,それを涵養するには身体の感覚,そして動作という肉体を駆使したプロセスが必要になるわけです。
その上で,やはりプロセスとして不可欠なのは「瞑想」ということになりますが,「瞑想」には難しそうなイメージがつきもの。
・・・というか,実際のところ,「難しい」と思います。
ただ,大事なのは,なんでもそうでしょうけど,いきなりできるようにはならない,ということです。むしろ,「わからない・できないのが当たり前」と受け入れ,取り組み続け,体験と気づきを積み重ねていくことしかありません。
そのために,
という,「動と静」の相補的なプロセスとしてとらえることが役立つでしょう。
そのようにある程度の段階を追い,学び続ける姿勢を持ち続ける工夫が必要と思います。
動作とマインドフルネス
さて,「動作は」マインドフルネスにどのように作用しているのでしょうか?
「動き」には自然に「注意」が向くもの。ただ,普段の動きは自動化されている可能性も高いので,あえて,意識的に動きに注意を向ける,という気持ちが必要です。
そのように「注意」をもって行えば,普段のスポーツやボディワークも,あらゆるものがマインドフルネス・トレーニングとなります。
大切なのは,
- 常に動作に注意を向け,
- 動作に注意を向けている自分に気づいている,
という視点なのです。
姿勢とマインドフルネス
上記のように,マインドフルネスは動的な方法でも体験できるとはいっても,「動」の方はわかりやすいという利点がある一方,内面の細かい洞察には不向きともいえるでしょう。
したがって,ここでは,禅や瞑想でもちいる一定の「姿勢の維持」も動作の一つととらえ,「姿勢の維持」を,あえてマインドフルネスを育てるエクササイズとしてご提案をしてみます。
もっとも,禅や瞑想のように一見動かないものは動作なのか? という疑問も出ますが,それについてはこちらの記事で書いていますので,ご参照ください。
なぜ,姿勢なのか?
あらゆる動作をマインドフルネスのための手段とすることができると書いておきながら,なぜ,姿勢の維持なのか?
そこには,次のようなマインドフルネスの本質があるからです。
突き詰めていけば,仏教がめざす悟りとは,「止観」という瞑想法によって「念(sati)」すなわちマインドフルネスを得ることが本義であり,そのためには,乱れやすい心を今という瞬間に「つなぎとめる」必要があります。
つまり,マインドフルネスには,我々の心があれこれとさまよい,とらわれて苦悩を抱えるとき,何か別の対象をとらえ,それに集中し,評価することなくただそれを観察することによって心を「満たす」ことで,我々の心を乱すほかの対象が侵入してくることから守る,という意義があります。
その際,捉えるべき別の対象として,心の入れ物である「身体」そのものを用いることになりますが,心を体すなわち体の感覚につなぎとめるには,「集中」というある意味での緊張が含まれる内的な作業が必要なのです。
(以上は,真言宗泉涌寺派大本山 紫金山小松院 法楽寺のwebサイト記事「念(smṛti / sati)とは何か」を参考にしました。)
つまり,姿勢を保つという動作は,むしろ動きが少ない分ごまかしがきかず,しかも刺激が少ない分感覚に対して鋭敏になれるため,こころで身体をつなぎとめるための「集中」という内的な作業を,ある意味「緊張感」をもって行うことができるのです。
すなわち,実際のところ,静坐して行う禅や瞑想は,常に「対象を捉えて離さず集中する」というマインドフルネスにはもってこいの方法といえるでしょう。
姿勢の要領動画
ご参考までに,小村が気功の学びから得た方法で実践している姿勢の要領を公開します。マインドフルネス瞑想の実際では呼吸や意識・思考の扱い方なども含まれますので,あくまで姿勢をマインドフルに保つためのエクササイズの一つとしてご覧ください。
今回もお読みいただきありがとうございました。
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