対人恐怖や社会不安障害など、人と接することに極度の不安や恐怖を覚え、社会生活が阻害されることがあります。
(今までそうでもなかったのに、最近、人と接するのが億劫という場合、それはうつ病のサインの可能性があります。)
社会に対する漠然とした不安は、わりと人生の早期に出来上がることが多いようです。
一人ひとりの性格的特徴の一つとも言えます。
対人恐怖の場合、「自分のふるまいが人を不快にするのでは。」と感じることが多く、社会不安の場合、「自分のことを悪く思われるのでは。」と感じることが多いようです。
ニュアンスは微妙に違いますが、人の反応を過度に気にする(気になる)という点では共通してます。
別の言い方をしますと、「人の感じていることに敏感すぎる」(共感する力が強すぎる」)ということでもあります。
人の気持ちがわかることはコミュニケーション上のアドバンテージでもありますが、逆に人の気持ちがわかりすぎると、人と接するのが怖くなる、というのは、なにか皮肉な感じですね。
私は…といいますと、
やはり、人からの評価に敏感で、人と接することに気後れすることもありました。
今もないわけではありませんが、何とか克服した「つもり」です。
結局、対処としては、人が何かを「思っている」として、それを自分の内面でどう処理するか、ということに尽きると思いますが、
そんなときに、ある含蓄のあるセリフを思い出します。
(以下、引用)
「完全な人間なんていないんだ。誰かが誰かに、不満を持つ。
ざらにあることさ。
かといってその人を嫌っているということにはならない。
不満は、口に出されないまま忘れられ、穏やかな人間関係が続けられる。
人の心の奥底まで掘り返すのは、そうする方が悪いんだ。」
(ここまで)
(藤子不二雄 「耳太郎」より)
※(「耳太郎」は藤子・F・不二雄先生の短編の一つです。今も書店等で、「短編集」の一遍として読むことができます)
マンガのセリフですが、高校生頃に読んで、それ以来、私の人付き合いのよりどころになっています。
人がどう思っているか、より自分がどう考えて、どう行動するか。それは選択できることなので,そちらの方を大切にしたいですね。
今日もお読みいただきありがとうございました。
あなたのお宝が見つかりますように。