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カウンセリングオフィス広島心理教育研究所

私的理想論~産業カウンセリングから

働く人々のメンタルヘルスについての仕事をしていると、大きな矛盾を抱えたままカウンセリングをすることがよくあります。

経済や雇用の問題で労働者は皆いっぱいいっぱいです。本当にぎりぎりのところで仕事をしているわけですが、生きていくためには心や身体にむち打って仕事をするしかないわけです。

被雇用者は皆、様々なセルフケアを持つことで何とか過度なストレスに耐えようとしていますが、管理者側としては何とか会社の収益を上げなければならない。そのためには人を雇うことはできないから、社員一人一人へさらに負担を強いていくわけです。

メンタルヘルスを考えるときに、社員一人一人のセルフケアも大切ですが、より大切なのは管理監督者によるケアです。社員のパフォーマンスを上げるのも、下げるのも、また社員をメンタルヘルス不調に追い込むのも、管理監督者にかかる比重がかなり大きいといえます。

そのために、大きい企業では、管理監督者に対するメンタルヘルスへの啓発であったり、コーチング法であったり、いろいろなスキルを習得させるところも増えてきています。

しかしながら、上役から見る社員への扱いの温度差はさまざまです。

社員一人一人を人として尊重してこそのメンタルヘルスであり、単に何らかの技術を習得したからといって、その観点が抜けていれば意味がありません。

パワハラやセクハラといったあからさまなものではなくても、自分の人としての尊厳を認めてくれないところで帰属意識を持って働けるでしょうか。

結局、人を大事にするということが、企業の生産性向上につながるのではないかと考える今日この頃です。

そんなことを考えさせられるエピソードがあり、ふと思い出したのが、映画「ランボー2」のラストシーンです。

ご存じの方もおられるかもしれませんが、あらすじを簡単に説明します。

主人公はジョン・ランボー(シルベスター・スタローン)という元軍人です。グリーンベレーというアメリカ陸軍特殊部隊に所属し、ベトナム戦争では勲章を受章した「英雄」という設定です。しかしアメリカ本土では反戦運動が盛んになり、結局負け戦で、退役軍人への風あたりが強い中で各地を放浪していたランボーが、ある地で警察官から理不尽な扱いをされたことに腹を立て、留置所を脱走して森に立てこもり、警察相手にゲリラ戦を仕掛ける、というストーリーです。最終的には警察署を襲撃し、周囲を包囲されて立てこもっていたところにかつての上官、トラウトマン大佐が説得に訪れ、投降する、というストーリーです。

パート2では、国の機関?からの密命で再びベトナムのジャングルに潜入し、今だ捕虜としてとらえられている米国軍人を救出する、というストーリーでしたが、後一歩で救出できるところを、機関に裏切られ、逆に捕まり幽閉されてしまいます。厳しい拷問にあいますがからくも脱出し、実は国は捕まっている捕虜をすべて存在しないことにして、見殺しにしようとしていたことを知るのです。怒りに燃えたランボーは、その機関を襲撃し、担当者に「全員助け出せ」と告げて去っていきます。

さて、ここからがラストシーンですが、最後に再びトラウトマン大佐が現れ、ランボーに「何があっても国を恨んではいかん」といいます。ランボーは「(国のためなら)死んだっていい!」と答えます。最後に大佐は「何が望みだ?」と問い、ランボーは答えます。

「俺たちが国を愛したように、国も俺たちを愛してほしい。・・・それが望みです。」

といって去っていきます。

ここまで大げさな話ではないかもしれませんが、確かに、企業、特に大企業から見れば社員は歯車かもしれません。しかし、社員一人一人は会社のため、または自分のため、自分の家族のため、身を粉にして働いているわけです。社員も、「何かのために」働いている、と思うからこそ、つらいことにも耐えられるわけですね。

最近では仕事に対するポジティブな取り組みを「ワーク・エンゲイジメント」と呼びます。ワーク・エンゲイジメントがあれば、人は職場はもちろん、プライベートでも生き生きと充実した生活が送れるとされています。

自分を愛してくれない会社に対してワーク・エンゲージメントをもてるかどうか、はなはだ疑問です。

理想論かもしれませんが、いかに人を大事にしていけるか、親である企業が子である社員を愛せるかどうか。

時代に逆行するかもしれませんが、それが働く人の健康に最も寄与するものではないかと考えずにはいられません。

しかしとりあえず、いちカウンセラーとして何ができるか、現実を直視して働く人々の心の健康に取り組んでいこうと思います。

(興味のある方は「ランボー」是非どうぞ)